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ラムタラ産駒の穴馬、母父で開花なるか! テンイムホウ [◯穴馬伝説]

☆サンデーサイレンス産駒は別格として、父又は母父の輝かしい戦績に比べ
ぱっとしない産駒が多いのが普通で、ラムタラ産駒もなかなか芽が出ず、苦しい戦いが続いている。

 2002年のラムタラ産駒のテンイムホウ号(牝5歳鹿毛)も
2006年3月25日に千葉日報賞で1000万下を脱出(柄崎将寿騎手)したが
1600万条件のレースでの成績不振のため、およそ1年半を掛けて1000万下に再度挑戦した。

 そして13戦目の2007年10月28日に1000万条件の河北新報杯にやっと勝利(柄崎将寿騎手)
し1600万下の挑戦切符を手に入れることが出来た。

 その2戦目の2007年12月2日、市川ステークス(中山競馬場 芝1200m16頭立)の
1枠1番で挑戦することになったが、追い込み馬だけに最内枠は決して有利な枠とはいえない。
馬によっては最初から馬群に包み込まれて戦意を喪失することが多い。

 しかし、鞍上はテンイムホウ号に乗り慣れている柄崎将寿騎手で、父親の厩舎馬だけに
この馬の騎乗数も桁外れに多く、今までの全4勝も柄崎将寿騎手で勝ち取っている。
6個レースで他の騎手が乗っているが4着が最高順位となっている。

 パドックでのテンイムホウ号は厩務員に甘える仕草を見せるなど
レースのことなど眼中にない態度で周回していたが、この点は穴馬(本気馬)が
気分良く走れるかどうか知るためのチェックポイントになると思っている。

 レースではスタート直後最後方に付けたが、軽いフットワークで徐々に先頭集団に接近した。
ペースは若干早かったが4コーナーでは3番手まで追い上げ、直線に入ると
中山の坂をものともせず駆け上がり、先行したスパイン号(牡5歳鹿毛 江田照男騎手)と
ピサノグラフ号(牝5歳鹿毛 ペリエ騎手)を尻目に一馬身1/4差で先着した。

 テンイムホウ号にとって結果的にはこれが最後の勝利となったが
その後、ヴィクトリアスマイル(GⅠ)を含め19戦に参戦し2009年11月13日に現役から退いた。

 現在は北海道の牧場で繁殖牝馬として繋養されているようであるが
テンイムホウ号の母父ラムタラとしての産駒がもうじき見られると思うと今から待ち遠しい気がする。

 血統の掛け合わせの善し悪しはよくわからないが
ディンヒル(1986生鹿毛・USA)を例に取ってみると産駒の成績がいまいちで
ようやく2001年頃からサイアーランクの10番台に登場してきている。

 そしてその7年後に母父の産駒で最高順位17位と健闘している。
ラムタラ産駒もこれとよく似ていて、2003年にサイアーランク16位を記録しているが
その前後は全くさえない順位に甘んじている。

 血統によっていろんな個性があるのではないかと素人なりに思っているが
2010年の今年あたりから母父ラムタラの産駒が活躍する時期に
差し掛かっているのではないかと密かに期待している。
・・穴馬伝説(12) テンイムホウ・・
 
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